狭山茶について

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狭山茶は、埼玉県入間市を中心に所沢市・狭山市・日高市生産のお茶のことです。

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狭山茶の歴史

南北朝時代の書物『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』に「武蔵河越(むさしのかわごえ)」の地が全国の銘茶五場の一つとして登場しています。この書物での全国の銘茶五場とは、「大和室尾(やまとのむろのお)」「伊賀八鳥(いがのはっとり)」「伊勢河居(いせのかわい)」「駿河関(するがのせき)」「京都栂尾(とがのお)」そして「武蔵河越(むさしのかわごえ)」です。
『旅宿問答』という書物には、「武蔵ノ慈光茶」という銘茶があると記述されています。
称名寺(鎌倉)に伝わる南北朝時代の古文書に「赤岩茶」(現在の埼玉県松伏町周辺が産地)が、茶産地として記録されています。※記録としては、県内最古の産地
その後の河越茶の産地についての記録はなく、生産も途絶えてしまいましたが、江戸時代後期(1800年代初)現在の入間市宮寺在住の吉川温恭(よしかわよしずみ)、村野盛政(むらのもりまさ)、指田半右衛門(さしだはんえもん)が試行錯誤を重ね、河越茶から現在に至る狭山茶の生産を復興しました。三人は、宇治の蒸し製煎茶の製法を習得し、文政2年(1819)には、この茶を商品として大消費地江戸へと出荷するようになりました。

狭山茶に適した風土

茶の木の栽培は、年間降水量1300ミリ以上の雨の多い土地に適しているといわれています。入間市は、年間降水量が約1500ミリとこれを上回り、「上湿下乾(じょうしつかかん)」といわれる茶の木の栽培に適した雨が多く、水はけの良い土地の条件に合っている地域です。
狭山茶が主に栽培されている武蔵野台地は、川によって流されて来た砂や石ころの層の上に、富士山を代表とする山の噴火により飛んで来た火山灰が厚く降り積もってできたものです。この火山灰がを関東ローム層といい、大変水はけがよく、雨水は地下にしみこんでしまいます。このことから、武蔵野台地は水田には適さず、古くから農業の中心は畑作でした。
したがって、入間市は茶の木の栽培の条件にぴったりの場所なのです。

ブランドになった狭山茶

幕末に横浜が開港すると狭山茶は、八王子を経て横浜に運ばれ、北米などに輸出されるようになりました。(狭山茶はアメリカで八王子茶とも呼ばれた)明治8年には「狭山会社(入間市)」が設立され、アメリカへの茶の直輸出業務や、製茶農業の育成を行いました。このころから「狭山茶」として広く知られるようになりブランド名として定着したようです。
入間では大正時代後期に機械製茶が始まり、昭和3年埼玉県の茶業研究所を設置、近代の製茶業として発展していきました。その後の戦争で荒廃した狭山茶の生産も、昭和30年代以降、茶園の姿も大きく変わり「畦畔茶」から「本茶園」へと専門的な茶園業と姿を変え、埼玉県で生産される狭山茶のうち入間市がその半量以上を占めています。

狭山茶の特徴

現在、狭山茶は埼玉県下全般に生産されるお茶の総称で、「狭山茶のやまとう」がある入間市が狭山茶の主産地です。その生産量、栽培面積も県下一を誇っています。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」といわれるように、「狭山火入(さやまびいれ)」といわれる製茶法により甘くて、コクがあり深みのある味わいが特徴です。
※狭山茶は寒い地域のため、葉肉が厚く、糖分を多く含む。
現在では、東北から沖縄までお茶を栽培していますが、埼玉県入間市は、国内の大規模な茶産地としては北限に位置し、お茶にとって寒いところなので、お茶の葉は1年に2回しか摘みとりません。※暖かい地方では、3〜5回摘むことができます。
埼玉県のお茶畑は、全国で6番目の広さですが、お茶の生産量は、全国で11番目です。県内では、入間市、所沢市、狭山市で多く作られています。

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